新聞配達

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ペーパーボーイというファミコンのソフトをご存じだろうか。自転車に乗って新聞配達する少年を操り、家の前からポストに向けて新聞を投げつけ、配達完了までの速さを競うような内容だったと記憶している。投げるタイミングが狂えば、弾丸と化した新聞が窓ガラスを割ることもしばしばだった。かくいう僕も、学生時代は新聞配達のアルバイトをしていた。ときどき手元が狂い、弾丸と化した新聞で窓ガラスを割ったこともあった、というのは冗談だ。

新聞配達は中学生の頃から始めた。同級生がお小遣いを自分で稼いでいるというので、どうやったのか聞くと新聞を配っているという。僕もやってみようかと、同じ営業所で雇ってもらった。今では中学生は雇ってもらえないかもしれない。坂の多い団地内を、自転車に乗って新聞を配達した。朝5時半から1時間くらい配っていたと思う。夏だったので毎日汗だくだった。新聞配達は完全に歩合制なので、配った数によって給料が変わる。毎日1時間弱、50部程度配達して、月に1万円かそこらの収入だった。中学生時代のペーパーボーイ仕事はあまり長続きせず、数ヶ月で辞めた。

それから、高校生時代、大学生時代にも新聞配達をした。大学生になって原付免許を取ると、バイク(プレスカブという新聞配達仕様のスーパーカブ)を使えるようになり、飛躍的に配達部数が増えた。毎朝3時半に営業所へ行き、新聞に広告を挟み込む作業をして、約200部を配達していた。これくらいの部数になると、一度に全てをバイクに積めないので、作業車に乗った社員の人が中継地点にデポしてくれるシステムになっていた。

担当し始めは地図を見ながら1件々々確認しつつなので2時間以上かかっていたのが、1週間も続ければ地図を見ずに配れるようになり、2週間経てばより効率的な配達径路を探して時間短縮する楽しさがあった。この家は絶対に6時までに届けないといけない、ここのポストは雨漏りするのでビニール袋に入れないといけない、という制約条件もちょこちょこあるので、すべてを満足する戦略を立てるのはパズル的楽しさがあった。たまに、配達を終えたはずなのに1部余ってしまったり、逆に途中で足りなくなることもあり、営業所にクレームの電話が入って怒られたりもした。

晴れの日も雨の日も雪の日も台風の日もお正月も、黙々と毎朝200部の新聞を配って月収7万円くらいだった。いま思えば割に合わないけれど、当時貧乏学生の僕にとって貴重な収入源だった。20年以上経ったいまでも、夜明け前にカブがエンジンをふかす音とポストに新聞が投函される音を聞くと、当時の日々を思い出す。