祖母山 (2003-09-14)

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福岡県在住の二つ上のO方先輩に誘われ、同期のT部、S伯、僕の四人で祖母山に登る運びとなった。祖母なんて名前からして大した山じゃないだろうと高を括る僕。もちろんトレーニングなんて一切しなかった。山をなめていました。

登山口へ

登山前日の9月13日、T部の車に乗せてもらい、S伯と三人で登山口へ移動。いろいろな場所で道に迷いつつ、23 時頃やっとのことで登山口のある神原(こうばる)に到着。O 方先輩とはここで落ち合う約束。先輩はまだ到着していないようだ。

キャンプ場があるというので行ってみる。S伯の操る車は明らかにまともでない道を走る。急坂な上に道幅が車幅すれすれなんである。舗装もされているとは言い難い。いつ落ちてもおかしくない。こんなところでこんな二人と死ぬなんてごめんだと僕は思った。

そうこうしている内に、寂れたキャンプ場らしき場所に無事到着。人の気配は全くなく、水も出ないし山のまっただ中。不気味だ。結局引き返して下の駐車場で泊まることにした。駐車場入口はちょっと分かりにくい場所にあったので、道路の道端に3 人座ってロウソクを立て、ビール(発泡酒ですが)を飲みながらO方先輩を待つ。

30 分くらいしてO方先輩到着。駐車場にテントを立てる。久しぶりに会うO方先輩と談笑しながら、発泡酒の続きを飲む。そして午前2時過ぎに就寝。

ロウソクの灯りで宴会

祖母山

9月14日、山登りの日。8 時くらいに起床。朝食にスパゲティの麺を茹で、レトルトのミートソースをかけて食べる。ちょっと量が多かった。誰だよこんなに茹でたヤツは。僕か。

テントを撤収して出発。登山口ギリギリの駐車場まで車で乗り付け、登山届けに記入して山行開始。テクテクと歩いているとS伯の携帯が鳴る。電話をしながら登る彼はあとでみんなから批判を浴びていた。20分程すると五合目小屋に到着。立派な無人小屋。いざとなったらここに住んでもいいなと思った。

小屋を過ぎたあたりからいよいよ傾斜が厳しくなる。朝食べたスパゲティが口に再来することもしばしば。一口で二度美味しいとはまさにこのこと。吐きそうだったので、僕はみんなに頼み込んで一本とらせてもらった。S 伯は「まだ20 分も経ってない」などと不満がっていたが、強がっていたのは見え見えである。本当は彼もキツかったに違いない。心の中では僕に感謝していたのだと思うことにしよう。

登りのことは思い出したくないのでこの辺にして、いつのまにか山頂。久しぶりに頑張ったと言える。でもヘロヘロ。快晴であったので遠く北に九重連山、南に霧島連峰、東北に阿蘇山が見える。久住と阿蘇は登ったことがある(阿蘇は自転車で登った)のでなんだかうれしかった。それに祖母・傾の山塊はどっしりと大きく、まるで南アルプスみたいだ。登りもアルプス並みに辛かったし。でもそれだけの価値はあった。

祖母山山頂からの展望
山頂でごろごろする

山頂の空気を楽しんでいると、疲れも癒えていた。この瞬間が一番好きだ。一息ついたところで、昼食のカップラーメンを食べる。その後は一時間ほどごろごろ昼寝などをする。ごろごろ。そろそろ帰らねばと、午後2 時半頃から下山開始。

滑べりやすい土だし、急傾斜なので下山はしんどかった。こともあろうにジョギングシューズを履いて来ていたT部は足がプルプル震えていたのでおかしかった。彼を見ているといつも心が和む。しかしトレーニング好きな彼のこと、T部的には自らの足を「鍛えて」いたのかもしれない。これからは厳冬期登山であろうともぜひ安っぽい(ホームセンターで売っているような)ジョギングシューズで挑んで、足を鍛えまくって(そしてプルプルさせまくって)欲しい。そんな彼のことを思ってか、先頭の僕はついついペースを荒げてしまった。

下山後、別府へ移動。200円の温泉に入る。O方さんは白っぽく濁った温泉に入りたかったようだが、その200円温泉はなんだか泥水のような色をしていてゲンナリ。これが本場たる結縁か。温泉を出てから別府の街を徘徊。関サバなどを食した。S伯は刺身がダメということで食べていなかった。不憫である。その後、海辺の公園にテントを無断設営し就寝。しかし地面が熱くてなかなか寝つけない。さすが温泉の街。