ボルダリングという登山

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ボルダー(巨石)を登る行為をボルダリングという。僕は、もともと登山のためのロープワーク練習という位置づけでクライミングをはじめたので、地上に転がる巨石を登るだけのボルダリングというスタイルには縁がないと決めつけていた。

ロープワークの一環としてクライミングを練習するにつれ、純粋に岩を登ることが面白くなって、ロープで安全確保をしながら20m程度の岩壁を登るルートクライミングも積極的に行うようになった。10年くらい前の話だ。

それでもつい最近まで、ボルダリングは自分にはほとんど関係ないと思っていて、クライミング雑誌で「五段の世界」なんていうボルダリング特集が組まれていても全く興味を示せなかった。どうせ登るなら、大きな山・高い山の方が優れているという、セクショナリズムみたいなものが、自分の中にあったのかも知れない。

でも最近は、大きな山・高い山でのクライミングをめっきりしていない。これは言い訳なんだけど、結婚して、子供が生まれ、仕事が忙しくなり、という生活になると、大きな山・高い山へと遠出する気力が徐々に低下してくる。そんな折り、子連れでも行けて、誰かにロープを確保してもらわずとも登れるボルダリングを本格的にしてみようと、岡山県の矢掛町にあるボルダリングエリアへ行ってみた。これが今年の1月。

矢掛のボルダリングエリアは、花崗岩の巨石が小高い丘の上に立ち並ぶ。硬くフリクションに優れた良質の岩に刻まれるホールドに全神経を集中して登ることが、純粋に楽しいと思えた。ボルダリングに打込んで2ヶ月くらいで、岩場の1級を登れるようになった。1級というグレードを登れたのは初めてだったので、いよいよ熱中することに拍車をかけた。

これまで、北山公園や小川山で何度かボルダリングをしたことはあるものの、そんなに楽しいと思えなかった。僕自身のクライミング技術が不足していたし、当時はアルパインクライミングやマルチピッチルートに魅力を感じていたので、余り熱中できなかったというのもある。

ボルダリングにはパートナーが必要ではない。必要なのは自分と岩だけだ。一緒に挑戦する仲間がいればもちろん楽しいけれど、登っている最中に頼れるのは自分1人。登れずに飛び降りるときも、着地姿勢を自分で制御するのが基本だ。ボルトやロープに助けを借りて、ちょっと上に登ってムーブを試す、なんてこともできない。ルートクライミングのように、フォールしたときの命をビレイヤーに預けることもない。自分の力で下から登って行き、トップアウトするか、途中で飛び降りるか、どちらか。真っ向勝負で、シンプルだ。

ボルダリングは、ルートクライミングに現れる最も難しい部分(核心部)のみを、地上からいきなり登るようなものなので、強度・難易度が高く、たった数手の課題でもヘトヘトに疲れる。たった数メートルを登って巨石の上に立つだけで、どうしょうもない達成感が得られる。クライミングばかりか、登山という行為の1番純粋な部分を結晶化した活動が、ボルダリングなのではなかろうか。

登山やクライミングのスタイルにはいろいろあるけれど、今のところ、僕にとってはボルダリングが一番面白い。自分でも不思議だ。