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20数年前

古い話で恐縮ですが、僕がインターネットに初めて触れたのは、今から20数年前の大学の授業でした。情報センターという場所にデスクトップパソコンが沢山並んでいて、自由に使うことができました。OSはたしかWindows 95、ブラウザはネットスケープナビゲイター。ディスプレイはブラウン管でした。

当時の僕は、コンピュータに触るのもほとんど初めてで、インターネットで世界中の情報を探せることの凄さがまだよく分かっていませんでした。目下の課題として、まだタッチタイピングができなかったので、空き時間に情報センターに通っては「MIKATYPE」なるフリーソフトを使って練習したことを思い出します。

授業の一環で、学校のサーバ上にWebサイト(いわゆるホームページ)を作成してみる、という課題がありました。テキストエディタでHTMLタグを打ち込んでhtmlファイルを作成し、FTPでアップロードして、ブラウザでそのアドレスを開くときちんと表示されていることに感動しました。この体験は、僕がインターネット上に文書を公開するようになったきっかけです。

20数年前は、facebookやInstagramのようなSNSはおろか、ブログのようにWebのみで完結するコンテンツマネジメントシステムも一般的ではありませんでした(せいぜい、perlで組まれた掲示板くらい)。そのため、上記のように手元のPCでhtmlファイルを作成し、別途FTPソフトでファイルを転送するというのが当時普通の方法でした。

デジタルカメラも一般的ではなかったので、フィルムカメラで撮影してカメラ屋さんでL版プリントし、それをスキャナで読み込むという、今では考えられないほどの手間をかけて写真をアップしていたものです。

このようにいくつものハードルがあるので、2000年頃以前に公開されていたWeb情報には、サイト製作者(管理人と呼ばれていました)の情熱というか、どうしてもこの情報を発信したいという心意気があったように思います。いくつものハードルを乗り越えなければインターネット上に発信できなかったので、ある意味では、一定以上の品質が確保されていたかもしれません。

当時のWeb上には、発信者が相応の手間をかけて準備したコンテンツばかりだったため、少し検索すれば有益な情報にたどり着くことができました。広告も少なかったですし、制作者同士で相互リンクすることでネットワークが構築されていたりと、今思えば牧歌的な時代でした。

2024年、多様化する現代

現在はどうでしょうか。多くの人々がスマートフォンを持ち、高性能な内蔵カメラで切り取った現実を、瞬時にSNSで発信できる状況になりました。

日々、溢れんばかりの情報が発信され、タイムラインを追うだけで疲れてしまいます。有益な情報はもちろんありますが、中にはそうでもない情報もあります。新しい情報を求める本能に踊らされて、ついつい時間を浪費してしまう要因にもなっています。

かく言う僕自身も、HTMLタグ打ちとFTPはちょっとしんどくなってしまったので、今ではWordPressというコンテンツマネジメントシステムに頼っています。

個人の発信はSNSの普及によって圧倒的に増えており、1次情報が増えていて、とても喜ばしいことだと思います。情報発信のハードルが下がったことで、多くの情報がWeb上で見つけられるようになりました。山岳遭難救助に役立つことも、少なからずあるようです。

一方で、発信者不明のノイズ的情報、根拠のない主張、はたまた生成AIを駆使した本物とみまごう虚構の情報もまた存在しています。このようなノイズに感情を揺さぶられることなく、適切な情報を適切に汲み取る能力がいっそう求められています。

情報を見分けるためにはどうすればいいでしょうか。まずは、すべてを疑ってかかることだと思います。権威のある人が言っているから正しいと盲信するのではなく、自分が持っている基礎的な知識と照合して「ん?本当にそうかな?」と考えてみる、そういうステップが大切に思います。

技術はどんどん進歩していますが、生物の進化にはもっと時間がかかるようです。ともすれば、現代を生きる僕たちは、100年前の人々に比べて、知恵も体力も劣っているかも知れません。

Webの情報について書こうとしていたものの、いつの間にか脱線してしまいましたし、いささか説教臭くなってしまいました。僕は何に基づいて、何を学んで、何を残せるのか、そんなことを漠然と考えています。