何気ない日常

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引っ越しが終わって連休も終わって、緊急事態宣言は延長されて、在宅勤務中心の日々を送っています。年度末で燃え尽きたまま、いまだに気力が沸かないでいますが、猫の「しおまる」に毎日翻弄されてつつも癒やされています。この家に来た当初は、ほとんどケージから出なかったのですけれど、最近は夜になると辺りをダッシュしまくって、日々のトレーニングに励んでいるようです。怖がって近づかなかった2階にも、順調に上り下りできるようになってきました。

▲狭いところがお気に入り

新居には荒れた庭があったので、少し耕して、グランドカバー系の植物を植えてみました。この充実感はなんでしょう、今まで味わったことがないタイプのものです。赤茶けた土に緑が加わると、一気に心地良くなりました。僕は、地面に直接植物が生えているのが好きだったのだと、人生も半ばにして初めて気づきました。新しい発見は嬉しいものです。

▲なんとなく植えた植物と、実家からくすねてきたスコップ

ところで、5月上旬、鹿児島県の甑島にあるナポレオン岩で、東京から来たクライマーが悪天で動けなくなってレスキュー要請したとニュースで報道されていました。それに対して、遭難者を批判する声も多かったですが、困ったときに、誰かに助けを求めることの、何がいけないというのでしょうか。

いつぞや、Rock & Snowというクライミング専門誌の記事で、海外のレスキュー隊員が「精一杯がんばれよ、困ったら俺たちが助けてやるから」という旨の発言をしていたのを朧気に覚えています。少なくとも僕は、この様な時期に、自分と同じ年代の方々がチャレンジしたことに、勇気を与えられました(僕がここ3ヶ月、山はおろかゲレンデの岩場にも行けていない程に、意欲が低下しきっているからかもしれませんが)。

リスクのないチャレンジはないし、チャレンジのないクライミングもまたありません。あらゆるクライミングは一定のリスクを孕んでいて、たとえ通い慣れたゲレンデであっても、なんらかの不確定要因によって事故が発生して救助要請せざるを得ない状況に陥る可能性は誰にでもあります。困ったときはお互い様、相互扶助が当たり前の、困ったときに助けを求めても蔑まれない社会であれば、素晴らしいなと思います。

▲僕が即席パーティーのリーダーになってしまったとき、パーティーメンバーが滑落し、県警にレスキュー要請した苦い思い出の山行(2018年5月、北アルプス)