【読書感想文】デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場

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冒険の共有を標榜し、プロ下山家と揶揄されながらも、そのカリスマ性で驚異的な資金繰りを行い「単独無酸素での七大陸最高峰登頂」を目指した青年がいた。

青年は、登山に対する下積みもなしに、2004年には北米大陸最高峰のデナリ(6190m)に登頂を果たした。その後、次々と大陸最高峰に登り、最後のピースを埋めるエベレスト(8848m)に何度も挑戦した。2018年、8度目の挑戦となるエベレストからの下山途中で滑落し、命を落とした。栗城 史多(くりき のぶかず)氏、享年35歳。

生前の彼をインターネットやテレビ番組で眺めていた頃、僕はずっと不思議に思っていた。単独というにはサポート要員が多すぎるし、エベレスト以外は酸素ボンベを使うような山ではないし、クライミングも上手くなさそうだ。少なからず胡散臭さを感じた。

彼の活動が山岳雑誌に取り上げられることもなかった。真面目に登山に取り組んでいる僕たちからすれば、彼のヒマラヤ遠征はいたずらに資金を浪費しているように思えた。なぜ世間から注目と賛辞を得ているのか皆目分からなかった。

栗城氏とは一体どのような人物だったのかを掘り下げた書籍「デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場」を読むと、引っ掛かりが取れた。栗城氏を支援していた某教授はこう言う。

「純粋な登山家からすれば『自分は頑張っても資金が集まらないのに、あんな若いのがいっぱい金を集めるのはけしからん』てことになるんだろうけど、私は起業家がたまたま山に登ったって思ってる。」

河野 啓:デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場

一方で、栗城氏と付き合いのあった若手経営者は

「思いを共感してもらうことが得意なだけで、ビジネスマンでは全然ないです。私腹を肥やすために中継をやっているわけじゃないし、そのことが相手にもちゃんと伝わるからスポンサーとしてついてくれるわけで。」

河野 啓:デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場

と語る。

「山登りが好きではなかったんじゃないかな」と言われつつも、毎年のように海外遠征し高所に登っていたのは事実なので、その行動力はすごい(僕など、日本の最高峰にすら登っていない)。反面、日本の山での活動実績はほとんど聞かない。国内の山で地道に登っても、話題にならないからだろうか。

エベレストの出発前、酪農学園大学のトレーニング壁で「あいつ、上まで行けないんですよ、一年生でも登れるのに」と言われるくらいだから、フリークライミングのグレードで5.9も登れなかったのかもしれない。せっかくエベレストまで行くのなら、もっと練習して行けばよかったのに、と思ってしまう。

今となっては知る由もないけれど、栗城氏にとって、山とは何だったのだろう。自分が目立つための舞台として、登山という露出の少なかった世界を利用しただけだったのか。そんな彼を、登山界は遠巻きかつ冷ややかに見ているだけだった。

オビに「栗城をトリックスターとして造形した主犯は誰か。河野自身だ。」と書かれている著者は

これだけメディアに露出した登山家は過去にいなかった。その言動はやはり重い。私たちは彼の死を、記録に残し、多角的に検証しておくべきだと思うのだ。

河野 啓:デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場

と語る。彼の死。目立つことに固執した栗城氏にとっては、エベレスト劇場という舞台は、命をかけるだけの価値があったのだろうか。登山家としての是非はともかく、「見えない山を登る全ての人達へ」というフレーズはなかなかに魅力的だ。栗城氏のブログは2020年12月現在も残されている。

山を登ると大切な感覚を持ちます。それは「生死感」です。誰もが訪れる死が非常に近くなることがあります。すると生きることに真摯に向き合う力が出てきて、自分の人生において何が大切なのか優先順位がはっきりとします。
そこにはお金や名誉などない世界です。

栗城史多 公式ブログ – 見えない山を登る全ての人達へ

生前の彼がブログで綴っている内容は、皮肉にも、栗城氏が命を落としたことで、説得力を増したように感じる。