山行記録を書くこと
山に行く度に、僕はなんらかの記録をつけている。記録を書くことはけっこう好きだし、そうしないとなんだか気持ちが悪いからだ。何のために何を書くのか少し整理してみた。
なぜ書くか
この習慣は、大学ワンゲル時代に身に付いた。当時はパーティーリーダーとして山へ行く度に、分単位で行動時間を記録し、毎週行われる部会で報告することが義務付けられていた。どこで何分間休んだとか、どこからどこまで何分かかっただとか、今思えばさほど重要ではないことに労力を費やしていたものだ。
今は、誰かにやれと言われている訳でも、誰かのためでもなく、ただそうすることが自分自身にとって一番楽だから、山行記録を付けている。僕は記憶力が悪く、書いておかないと忘れてしまうので、強迫観念みたいなものもあるのかもしれない。
記録にはどこに何時にいたか、という情報が不可欠だが、登攀中に手帳とペンを取出して書き留めるのは煩雑だし時間をロスする。だから、要所々々でデジカメで写真を撮り、風景と撮影時刻を残すようにしている。山から帰ったら、写真を見ながら、自分の記憶をたどりながら、自分自身の行動を振り返るのだ。これは、もはや僕の山の楽しみの大事な一部分となっている。登山という楽しみのうちの1部分として、僕は山行記録を書いている。
何を書くか
山行記録のうち、最も労力がかかるのは、行動の時刻歴(いわゆるコースタイム)を整理することだ。フリークライミングではあまり重要ではないが、バリエーションルートでの縦走となると、コースタイムがとても貴重な情報となる。次回同じルートに行くときにはもちろん役立つし、同系統のルートへ行く際の計画にも役立つ。インターネット上で公開すれば、他の誰かの役に立つ可能性だってある(実際、僕も多くのクライマーの記録に助けられている)。感想とかルート状況はおまけのようなもので、最も役立つのが時間の記録であると思う。重要な割には、地味でめんどくさい作業だし、完成しても素っ気ないのだけれど。
山行計画時に考えていた時間と、実際に要した時間を比較するというのを繰り返していけば、自分でもびっくりするくらい予想と実際が一致した計画を立てることができるようになったりもする。まあ、それをよしとするかどうかは、考え方による(予想どおりに行動して何が面白のっていう人もいるかも知れない)。
時間の整理が終わったら、つぎに、山行中の行動の詳細を振り返る。これは楽しい作業だ。クライミング中心の山行であればルートの特長やムーブにフォーカスするだろうし、歩き中心であれば景色やその土地の特長、テントで食べた食事に焦点をあてるのもいい。数日間の山行であれば、それぞれの日々を振り返ることで、もう一度同じ体験ができるような気がする。
誰に向けて書くか
1年くらい経てば、少なくとも僕の場合は、記憶が薄れてしまっているので、自分の記録を読み返すと半分他人事で面白かったりもする。というのはいつかどこかで書いたか。
一時期、ブログではなくfacebookを中心に山行記録を書いていた。友人たちからすぐさま反応があると、読んでくれている人がいるという意味で励みになるし、「いいね」が増えるとなんだか自分が肯定されているみたいで気分が良かった。
しかし、僕は誰かのためというよりも、自分なりに納得のいく文章を書いて、上手く撮れたと思う写真を配置して、作品として山行記録を完成させるのが好きだということに気づいた。だから自分のために書く。そのためには、ブログという場が一番しっくりくる。